ツーリングトーク バイク談義

オフロードバイクの整備とツーリングキャンプのノウハウ

霧多布岬から納沙布岬までの道

北海道ツーリング2011

霧多布岬から納沙布岬までの道

2011/08/12 425 km 天候:晴れ
霧多布岬−納沙布岬−羅臼町

霧多布湿原

霧多布岬から納沙布岬までの道

厚岸湖と霧多布湿原のあいだにはいくつかの林道がある。そのうちのリルラン林道、風澗林道、糸魚沢林道を走ってから霧多布湿原に来た。

最初はビワセ展望台に立ち寄るだけのつもりだったのだが、走っている時に湿原の北端に観察所が有ったことを思い出したので、湿原を一周することにした。
最初、MGロードを北上して観察所に行き、そこから道道599で南下して再び道道123に出てからビワセ展望台に着くというルートだ。

この一体は何度も通っているが、晴れているのは1999年以来だろう。もっとも1999年の時は雲が多くて日は差していたが青空の印象は無い。

日本第3位の面積を持つ湿原と聞いていたがなるほど広大な面積だ。中程を琵琶瀬川が流れている。此の川をカヌーで下るリバーツーリングが催されていると聞いていたが、出艇場所は何処だろうと探すが面積が大きすぎて検討が着かない。
湿原の中からの出艇ではなく、河口付近から出艇をして川をさかのぼるのかも知れない。

昨日はコッタロ湿原、釧路湿原、別寒辺牛湿原を通り抜けたが、今日は霧多布湿原を通った。道東でも釧路から根室にかけては湿原や汽水湖の多いところで、もし走るのならこの自然の造形を堪能しないとこのエリアをわざわざ走る意味は無い。

霧多布岬

霧多布岬から納沙布岬までの道

霧多布岬もなんども訪れているのだが、晴れているのは、ここは初めてだ。と言うよりも北太平洋シーサイドラインと呼ばれるこの道を走っていて晴れていたことは一度もなかったという方が正しい。霧と雨と寒さの記憶が残っている。

霧多布岬には灯台が建っているが、その先まで降りられる歩道が着いていた。オートバイ用のブーツを履いて歩くのはかなりしんどいのだが、景観の美しさには勝てない。歩くことにした。

晴れた日の岬は良い。
青空と青い海、木と草の緑のコントラストが美しい。
これほど美しいところなら、晴れた日を見つけて迂回してでも一度来ておけば良かったと後悔をする。

北太平洋シーサイドライン

霧多布岬から納沙布岬までの道

北太平洋シーサイドラインと名付けられた釧路から根室までの太平洋沿いの道が好きだ。といって良い思い出はあまりない。雨と霧と寒さで震えながらいつも走っていた。

シーサイドラインの名の通り、この道は地図上では海岸線を通っているが、実際には樹木に邪魔されて海が見える区間は全体の1/10ほどしかない。
だた、時折見える海の風景が印象的だ。

今回は、砂浜を馬で歩いている集団を見かけた。
こんな風景が見られるのも道東くらいだろう。北海道らしい一コマと言える。もっとも九十九里浜や鳥取砂丘ではラクダが見られるという。

北太平洋シーサイドライン沿いに数戸ほどの小さな小さな漁村が数珠の様に連なっている。数戸と言っても半分は廃屋だ。毎回、この道を通る時には、こうした小さな漁村に降りている。
今回もある集落に降りてみた。

ここの戸数は四戸か五戸。二戸は廃屋だ。
昆布を干すための砂利を敷き詰めた広場が集落と海岸の間にある。
海岸線は防波堤で固められているが、津波が来たらひとたまりもなさそうに見える。
丘側の樹林を切り開いて牧草を栽培していた跡がある。牧草借り入れのために購入をしたらしい大型のトラクターが2台、さび付いておかれていた。牧草地の跡の面積は2、3アールほど、素人目にも採算が取れるとは思えないのだが、なぜ牧草栽培を始めたのだろうかと思う。おそらくトラクターの借財すら牧草から得られる収入では返せなかったろう。

集落の中程に止まって見ていたら、子どもが興味深そうにこちらを見ているのに気がついた。
老人ばかりの多い郡部の集落の中で、ここはまだ子どもがいるらしい。子どもがこちらを見ているのは、おそらくこんなところまではツーリングライダーは入ってこないので、珍しかったのだろう。
国道を走るライダーは多いが、ガイドブックにない北海道を探索をするライダーは、ほとんどいなくなっている。

屯田兵を思う

霧多布岬から納沙布岬までの道

北海道を考える時屯田兵を外すことは出来ない。
根室半島の付け根にある和田という集落も屯田兵によって開拓されたらしい。
北海道の史跡として、「和田屯田兵村の被服庫」が指定されていた。

案内板によると、札幌農学校の時代、アメリカの西部開拓に使われた建物の構造をコピーして北海道に建てたものらしい。札幌時計台と同じ構造で、バルーンフレーム構造と呼ぶ。

和田のある辺りは最低気温こそ氷点下20℃ほどと北海道では比較的暖かいが、夏の気温が高くならないところで、オホーツク海に寒気団がある時には晴れていても20℃に達しないこともある。
そんな寒冷な地に、耐寒性のなさそうな建物を建て人を住まわせた人たちはどの様な感覚の持ち主だったのだろうか。
屯田兵の住居が旭川の博物館に保存されているが、あれを見るととても北海道の冬を過ごすための住居とは思われない。四国の物部村や九州の五箇村などでもあの住居に住めば、寒さで耐え難いだろうと思う。
これは想像ではなく、似た様な建物で氷点下20℃以下の地で2年間を過ごした体験だ。

納沙布岬の国境

霧多布岬から納沙布岬までの道

北太平洋シーサイドラインは日本の東端の納沙布岬で終わっている。
納沙布岬は日本で数少ない国境を感じられるところだ。宗谷岬からも樺太が見えるが、距離がありすぎるので国境を実感することは難しい。
納沙布岬からは手が届く様なところに日本の主権の及ばない島が見える。

人文、地文的に見れば千島列島や樺太は日本領なのだが、そうはならないところが近代以降の世界の難しさだろう。

この岬に立って何を思うかは、人様々だと思う。

ヤウシュベツ川湿原

霧多布岬から納沙布岬までの道

風蓮湖の東にある温根沼の海に突き出していた砂嘴に丹頂鶴がいた。以前に野付半島や別寒辺牛湿原で見たことがあり、相当広範囲に生息地を広げていることは知っていたが、根室半島にまで広がっているとは知らなかった。

この日、最後に見た湿原がヤウシュベツ川湿原だ。
風蓮湖の北に流れ込む河川の流域一帯の名称らしい。
風蓮湖は海跡湖で、海とつながっている。春国岱が有名が、カヌーで湖を漕げば新しい魅力が沢山ありそうに思える。このヤウシュベツ川など、風蓮湖から漕いでさかのぼればどれほどおもしろうだろうか、と想像してしまう。

野付国道

霧多布岬から納沙布岬までの道

野付半島を右手に見ながら野付国道(R335)を羅臼に向かう。
この国道から景観を楽しめるのも久しぶりの様に思う。特に国後島を見るのは初めてではないだろうか。
軽やかにアップダウンを繰り返す道で、高いところから下る時など、良い景観を楽しめる。

羅臼のボタンエビ

霧多布岬から納沙布岬までの道

途中、海から離れて川北温泉と薫別温泉に至る林道を走ってから羅臼に着く。羅臼にはスーパーは無いらしい。食料品店を兼ねた魚屋があり、ここで今朝採れたというボタンえびとサンマを購入する。サンマはもちろん調理済みだが、ボタンエビはマルのまんまだ。殻をむきながら食べる。鮮度の悪いエビは生臭く苦みがあって苦手なのだが、北海道の漁村で売られているエビなら美味しく食べられる。

熊の湯と羅臼野営場

霧多布岬から納沙布岬までの道

羅臼野営場にテントを張ってから熊の湯にむかう。久しぶりなので、有料化になったり、設備が豪華になったりしてないかと心配していたが、以前に来た時とさほどに変わりはなかった。
ただ、入っている旅行者が熱いのが苦手と苦情を言って水でうめてしまい、熊の湯特有の熱い湯では無くなっていた。熱い熊の湯に入れないのであれば、意味がない。

食事を終えた頃に強風が吹き始める。
首を出して辺りを見回していると、横の2張りのテントは風で倒壊していた。前のテントもタープが飛ばされている。
最初はテントの耐風テストと思い、内側から手で支えていたが、とても今回持参してきたテントでは耐えられないことが分かってきた。
幸い食事を終えていたので、荷物をまとめて撤退をする。となりのキャンパーが心配をして声をかけてくれた。
オートバイでキャンプ場を出るとすぐに風が避けられる場所を見つけたのでここにテントを張らせて貰う。トイレや水場はキャンプ場のものを使う。

移動したおかげで、風の心配なく寝ることが出来た。
今回使用しているテントはモニターとして使っているシエラデザインのシリウス2なのだが、構造から雨と風に弱いことは分かっていた。その代わり通気性に優れているので暑い夜に適したテントだ。

登山用のトレックライズ0ならこの程度の強風は問題ないのだが、あのテントは通気性が悪いので暑い夏の平野部でのテント泊には向かないのだ。オールマイティーのテントというものは無いらしい。

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