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宗谷岬(間宮林蔵)

宗谷岬(間宮林蔵) 返信

  1. 投稿者:うーたん 道北
  2. (投稿日:2003/09/02 / 更新日:2003/09/02)
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北海道を訪れるライダーが必ず目指す地は、第一はこの宗谷岬でしょう。わたしも第1回、第2回の北海道ツーリングは宗谷岬を目指して北上したものです。

宗谷岬には日本最北の地の記念碑の他、写真の間宮林蔵の銅像も建っています。間宮林蔵は間宮海峡の発見者ということからも分かるとおり、北海道(当時は蝦夷地)や千島列島などの北方探検家として歴史上に大きな足跡を残しています。

ところで間宮林蔵が隠密だったと言うことは余り知られていないようです。誰もが知っている重大な事件の当事者でした。
1800年代にドイツ人のフォン.シーボルトが来日して鳴滝塾を長崎で開設し、江戸時代の日本の医学の発展に大きく貢献したことは、皆さんご存じと思います。

そのシーボルトが帰国するとき、伊能忠敬が作成した精密な日本の沿岸地図を極秘裏に持ち出そうとしたことを、間宮林蔵は突き止めました。当時の法律では日本の地図を国外へ持ち出すことは違法行為でした。

国の沿岸地図というのは、江戸時代後期にでは日本に限らず国防上の機密と言えました。例えば精密な日本の沿岸地図が有れば、軍用艦で日本の港という港に容易に進入して、港町を大砲で焼き払うこともできるようになります。

(ただし実際には地図だけでなく、将軍からある人が拝領した品々をシーボルトが手に入れていた、等の余罪もあり、むしろこちらのほうが罪が重かったとも言われています)

シーボルトは複数の地図を手に入れていたので、没収されなかった地図はヨーロッパに渡り、その精密さはヨーロッパの研究者達を驚嘆させたそうです。

間宮林蔵は偉大な探検家でしたが、本人は隠密の仕事こそ我が人生をかけるに足りると考えていたそうです。ちなみに間宮林蔵は伊能忠敬の弟子として、北海道の沿岸地図の作製にも関わっていました。