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熊本城

熊本城 返信

  1. 投稿者:うーたん 熊本県
  2. (投稿日:2003/09/05 / 更新日:2003/12/18)
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熊本城の天守閣は明治10年に焼失したので、現在の天守閣は昭和35年に再建されたものです。

天守閣の中は展示場で、最上階は展望台となっています。
展示場でおもしろいのは熊本藩主として200年以上熊本を統治していた細川家の事項よりも、30数年の統治期間しかなかった、加藤家、特に加藤清正の事項に展示のスペースが多く割かれていることです。

加藤清正は戦国末期屈指の武将として有名ですが、軍事上の能力だけではなく、治水や築城等の土木建築の才能も非常に高かったそうです。

熊本城の歴史

  1. 投稿者:うーたん
  2. 投稿日:2003/09/05
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熊本城は近世の城郭(織豊時代から江戸時代初期に主に建築されていた)のなかで、実戦に使用され、しかも城郭が残っている数少ない城です。
他に大規模な城郭としては、会津若松の鶴ヶ城、東京の千代田城、兵庫の姫路城などがあります。

熊本城は建築されてから200年以上平和の中に過ごしてきましたが、明治10年、西南の役の時に土佐出身の谷干城(たにたてき、たにかんじょう、の双方の呼び方があります)が守備隊長なって防衛戦の拠点となりました。戦う相手は日本最強といわれた薩摩武士団です。

その薩摩武士団が、加藤清正が熊本城を築城した時代には存在しなかった近代的な大砲などの武器で武装して攻めてきました。
熊本城はこの攻撃に最後まで耐え抜きましたが、天守閣はこの戦争の直後に焼失したそうです。

掲載した写真は熊本城の天守閣と、西南の役の時の熊本城守備隊長の谷干城の銅像です。

歴史のおもしろい所は、先に紹介した会津鶴ヶ城を攻撃したのは土佐藩を中心とした部隊で、指揮官も土佐藩出身の板垣退助(乾退助)でした。
一転して熊本城を守備した部隊の指揮官も土佐藩出身の谷干城でした。

宇土櫓

  1. 投稿者:うーたん
  2. 投稿日:2003/09/05
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熊本城の建築物で加藤清正の時代のものといわれるのが宇土櫓です。櫓といってもかなり大きく、中規模の城の天守閣よりもはるかに大きいです。

宇土櫓は内部の見学もできるようになっていて、所々にボランティアの方が居て説明や案内をしてもらえます。

ボランティアの方と話していて気づいたのですが、西郷隆盛に対して決して良いイメージを持っていないことです。
考えてみると確かにそうで、熊本の人にとっての西南の役は、西郷隆盛が薩摩武士団を率いて一方的に熊本に侵攻してきたということだからです。

西郷隆盛は現代でも人気が高く、わたしも聖人のようなイメージを持っていましたが、このとき初めて、歴史の多面性を知りました。

熊本城、大工事中

  1. 投稿者:うーたん
  2. 投稿日:2003/12/18
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2003年12月に久しぶりに熊本城を訪れました。
丁度復元工事が開始されていて、話によると20年かかる大工事だそうです。
あちこちに青のビニールシートが張られて風情を壊しているほか、場内の通路も通行禁止箇所が多く、熊本城のもう一つの魅力である大城郭はほとんど見ることは出来ません。

取材時点で見学出来るのは、めぼしい所では天守閣と宇土櫓しかありませんでした。
しかも残念なことに、天守閣内の展示方式が大幅に変更され、1Fの広大な面積を独占していた清正公の展示物がほとんど無くなり、宮本武蔵と細川家のどうでも良いような写真とパネルばかりの展示となっていました。NHKの大河ドラマの影響と思いますが、せめて実物の展示をして欲しかったです。

大城郭の片鱗

  1. 投稿者:うーたん
  2. 投稿日:2003/12/18
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西日本最大の巨城と言われる熊本城ですが、その大城郭は今のところ修復工事で見ることは出来ません。その中で、規模の大きさの片鱗を見ることが出来るのが、二の丸駐車場と本丸をむすぶ通路にある内堀です。

通常の城の外堀を遙かに凌駕する幅と深さがありますが、これが内堀と言うことで、規模の大きさを想像することが出来ます。